【お題】ドッジボール部じゃない方のくにおくん
子供の頃、友達のほとんどが何らかのゲームを持っていたのに、ぼくだけ買ってもらえなかった。
いまとなっては、おそらく少数派であろう「ゲーム一切禁止層」。
ゲームの思い出は、ほんのりとビターテイストなのだ。
当時、一家に一台が当たり前となっていたのが、世界のゲームシーンに革命を起こした任天堂のレジェンド商品「ファミコン」。
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当時の小学生は、週末になると友達の家に集まってファミコンで遊ぶ。それがデフォルトだった。
でも、ファミコンを持っていないぼくは何をやってもダメ。勝ち抜けの勝負に負け続け、協力プレイでは仲間に呆れられ、次第にプレイ時間が短くなって、後ろの方で見学するのが常だった。
ゲームの思い出は、超絶苦く、曇天のような鼠色をしている。
ただ、そんなぼくが、たったひとつだけ得意だったと言えるゲームがある。
『熱血高校ドッジボール部サッカー編』
ファミコン世代にはおなじみの「くにおくんシリーズ」のひとつ。
常識的には、ドッジボール部にサッカー編はない。
まあ、その後のくにおくんシリーズの展開を見れば、サッカー編はまだましだが。
設定について調べてみた。熱血高校のサッカー部員たちが全国大会出場を祝うために寿司を食いに行き、集団食中毒になったため、スポーツ万能のくにおくんたちドッジボール部員が代わりに出場することになったらしい。
タイトルも設定も多少ぶっ飛んでいるが、ドッジボール編同様、プレイも相当ぶっ飛んでいる。基本的に反則やオフサイドの概念はなく、端的に言えば、半端ない破壊力の各種必殺シュートで敵を蹴散らしてゴールを奪うゲームなのだ。
なぜかこの作品だけは、ゲーム音痴のぼくに向いていた。
ある週末に10人くらいが集まって行われた「くにおくんサッカー大会」では、クラスの並み居るゲーマー連中をなぎ倒して、見事準優勝に輝いた。このジャイアントキリングは、ユーロ2004のギリシア優勝に近いトピックスだ。
ぼくはこのゲームが大好きになり、その日以来、週末が来るのが楽しみでしょうがなかった。
でも、子どもたちのトレンドの移り変わりは激しく、1ヶ月もするとみんな別のゲームに夢中になった。おまけに新しいくにおくんシリーズも発売され、いよいよサッカー部編は過去のものになった。
そして、ぼくだけはあの時の栄光が忘れられないでいた。
なんとかもう一度サッカー部編がしたい一心で、親に「ファミコンを買え」と激しくデモ活動を行った。最終的には親が折れ、ファミコンはダメだけどゲームボーイなら。という謎の着地点に到達し、ぼくは念願の初ゲーム機と、
を手に入れた。
急に?
サッカー部になったの?
そして、ワールドカップ?
相変わらず設定は謎だけど、その日から世界の頂点を目指す戦いが始まった。もはや周りにこのゲームをやっている人は誰もいなかったけど、毎日楽しかった。
これが、最初にハマったゲームの話。
思い返せば、ぼくのサッカー好きはくにおくんから始まっている。ゲームボーイ版の発売が1991年。この後、日本サッカーは、「ドーハの悲劇(1993)」「ジョホールバルの歓喜(1997)」「ワールドカップ初出場(1998)」などを経験し、予想もできないほどの速度で進化していった。
それと並行するように、ぼくのサッカー熱も高まり、くにおくんに始まったサッカーゲームの系譜は、「Jリーグウィニングゴール」「ウィニングイレブン」「FIFA」へと続いていった。
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今でもたまに思い出す。
あの時、準優勝の栄冠をつかんだ瞬間を。
学級長の家で起こった
「田中くん家の奇跡」をぼくは忘れない。
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